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秋葉原に10年ぐらい住んでみた
私の青春
前略、秋葉原への愛を叫びます!!!!!
なのくろです。
秋葉原に10年ぐらい住んでみたので、いろいろ綴りたいと思います。
初めての秋葉原
私が初めて秋葉原に来たのは10歳の時。はっきりと覚えている。
駅前にはまだバスケットコートがあった時代である。
今は無き「LAOXザ・コンピュータ館」で Windows Me がインストールされた FMV BIBLO を購入した。
おじいちゃんに初めて自らの意思でおねだりをして買ってもらった。
パソコンを買ってもらった帰り道に「セキュリティソフトも買いたい!」と言ったら、自分で買っておいでと1万円ぐらい渡され、秋葉原という街に野放しにされた。
当時10歳なので小学四年生である。自分で買い物はしたことがないし、地元は千葉県で自宅まで1時間は掛かる距離。突然ぽつんと秋葉原に立っていた。
実質的にはじめてのおつかい状態で、おいおいまじかよ!?という感じではあったが、最高潮にテンションが高かったのは確かである。
もともと幼少期から家電が大好きだったので、秋葉原という街は僕にとって天国のような街であった。
ほとんど寄り道はしなかったが、街並みを眺めているだけでとにかく楽しすぎた。
結局私はザ・コンに戻り、シマンテックの黄色いパッケージを無事購入。一人で帰宅もできたし貴重な体験だった。
つくばエクスプレス開業
しばらく時が過ぎ、つくばエクスプレスが開業。
自宅から秋葉原がぐっと近くなった。当時中学3年生。
既にオタク化していた私にとってTX開業は待ちわびたビッグニュースであり、当然の流れで秋葉原へ通い始めることになった。
これといって目的があったわけではないが、だいたい家電量販店でパソコンやヘッドホンコーナーをうろちょろしていた。
週末の歩行者天国はなかなか面白く、路上ライブやコスプレイヤーの撮影会などがゲリラ的に開かれていた。
お腹が空いたらラジオデパートのマクドナルドで昼ごはんを食べるのがいつもの流れだった。
書籍売り場でプログラミングの入門書を手にとっては、さっぱりわからんと悩みながらも、興味があったので少しずつ覚えていった。
現在は開発者として仕事をしているので、なんだかんだ当時の夢は叶えられたのかなと思うと若干感慨深い。
リナカフェなう!
高校に進学し、ニコニコ動画(仮)がリリースされる頃。
ニコ動にのめり込むようにドハマりし、オフ会にも参加するようになった。
たまたま参加したのが2chの大規模オフ板で、活動場所はいつも秋葉原の芳林公園だった。
なぜか芳林公園の近くの自動販売機にはマックスコーヒーが沢山並んでおり、馴れ合い禁止でマックスコーヒーを飲むだけというオフ会が個人的に一番好きだった。
オフ会が無い日は「リナックスカフェ」で、アボカド丼を食べながら Twitter するのが趣味になっていた。
いま考えるとよくわからないのだが、リナカフェなう!とつぶやくのが何故か無駄に楽しかったのである。
いわゆるオタクカルチャーに没頭していた私は、桃井はるこさんを崇め、ぱふゅーむ(Perfume)、でんぱ組.incが好きになった。
深夜アニメも大好きになった。ローゼンメイデン、涼宮ハルヒの憂鬱、舞乙HiME、ARIAなどなど。
一方その頃、歩行者天国は過激なパフォーマーや治安などが問題視されはじめていた。
無差別殺人事件の発生をもって歩行者天国は無期限中止となった。その日も秋葉原にいたので衝撃的だったのを覚えている。(※現在は再開されています)
秋葉原勤務
高校卒業後、くすぶっていた私は紆余曲折を経てフリーターになった。
秋葉原電気街のカラオケパセラでオープニングスタッフだった私は、週7日毎日13時間ぐらい勤務していた。
厚生労働省が尻尾巻いて逃げるようなブラック勤務ではあったが、当時は生きていくお金が必要で必死だったのでなんとかなった。
わずかな休憩時間、屋上で秋葉原の空を眺めている瞬間が結構好きだった。
貴重な休日は「秋葉原mogra」に行って爆音でアニソンを聞きながら夜ふかしするのが最高だった。
DJも良いのだけど flapper3 のVJがカッコ良すぎたせいで AfterEffects にもドハマりした。
好きが高じて映像業界に片足を突っ込み、いろいろなMVの撮影現場で過ごすことが多くなった。
秋葉原は俺の庭
さらに紆余曲折を経て、オタクカルチャーとプログラミングと映像が大好きだった私はドワンゴという会社に入社する。ニコニコの運営である。面接で絶対落ちたと思っていた私は秋葉原HUBで酒を飲んでいた最中、電話で内定連絡が掛かってきて、泥酔しながら嬉しすぎて泣いていた。
社会人になった私は一人暮らしを始めるわけだが、当然迷うことなく秋葉原に住むことにした。
秋葉原と言っても広範囲だが、一般的に電気街と呼ばれているのは「外神田1・3・4丁目」である。
※1丁目は駅周辺、3丁目はジャンク街、4丁目はUDX周辺という理解でだいたいあっている。
※ちなみに2丁目は神田明神あたり、5丁目はほぼ御徒町、6丁目はシャッツキステ跡地あたり。
何度か引越しを経験するのだが、最終的には1・3・4丁目の全部での生活を経験した。
(電気街に住んでいる人自体少ないが、電気街を転々としている人は結構レアなんじゃないかなと思う)
ちなみに外神田の家賃相場は当然ながら高めである。頑張って賃貸した。
一人暮らし向けの1Kで10万円以上、1LDKだと15万円以上は見積もったほうが良い。
秋葉原徒歩圏であれば浅草橋方面に歩いていくともう少し安い場所もある。
最初は憧れていた街が、通う街となり、働く街となり、住む街となった。
秋葉原に住む魅力
秋葉原での生活というのは、控えめに言って最高である。
まずそもそもの話、オタクの聖地みたいな場所に住むというだけで満足感があった。
たまに深夜アニメを見ていると自宅周辺が描かれたりするのが地味に面白いのである。
とにかく家を出たら0秒で電気街!!!説明は不要だろう。
毎週末どこかしらでイベントが開催されているので散歩するだけでも楽しい。
同じ街にいても全く飽きないのは、秋葉原ならではの魅力だなと思う。
交通アクセスも非常に良い。
秋葉原駅だけでも「山手線、京浜東北線、中央総武線、つくばエクスプレス線、日比谷線」が利用できる。
少し足を伸ばせば「都営新宿線、銀座線、千代田線」なども徒歩圏にあるので無敵と呼んで良い。
生活利便性も良かった。
スーパーもコンビニも徒歩圏にある。肉のハナマサは便利。
日用品はドン・キホーテに行けばだいたい揃っているし、早朝まで営業している。
コンビニ感覚で秋月電子に行けるのは一部の人にとって最強だろう。
ヨドバシカメラは24時間店舗受け取りサービスがあるので、深夜3時にペンタブが欲しくなっても購入できる(実話)
食事にも一切困らない。
ヨドバシとUDXには飲食店街があるし、駅前や電気街にもたくさんの選択肢がある。
特に電気街は大盛りな店が結構多く、意識しないと簡単にデブになってしまうので逆に困る。
神田明神が近くにあるのも良い。
散歩にちょうどいいし、坂の上にあるのでちょっとした運動にもなる。
隔年に一度、神田祭という由緒正しき大祭があり、街の雰囲気が一変するのもなかなか面白い。
もちろん元旦は神田明神で初詣をする。甘酒おいしい。
そしてなにより友達である。
オタク友達と遊ぶときは、特に場所を決めなくても自然と秋葉原集合になる。
家の場所を説明するときに「ディアステージの近く!」でだいたい伝わるのが面白かった。
結果的には秋葉原以外の場所に出掛けることがほぼなくなった。兎にも角にも最高なのである。
微妙なところ
秋葉原は文句なしで最高の住環境!と言いたいが、実は最近はそうでもない。
住み始めた頃の秋葉原は意外と治安が良く、夕方過ぎには閑散とするのが結構お気に入りだった。
しかしここ数年は急激に治安が悪化していると感じる。現在は深夜2時過ぎでも客引きが並んでいる状態になった。
街の景色を撮影していると柄の悪い男たちが飛んできて邪魔だと怒られる。邪魔なのはあなたたちだ。
特に去年からはガールズバーやキャバクラの客引きが沢山増え、まるで歌舞伎町みたいになってしまった。
千代田区もパトロールなど動き始めている様子だが、あまり効果は期待できないだろう。
「昔は良かった」なんて言いたくないのだが、実際そう思うし、あまり良い街だとは勧めづらくなってきた。
今の秋葉原が好きな人もいるだろうし、私が適応できなくなっただけかもしれないが、歌舞伎町化が進む秋葉原が望まれている変化だとは思えないのだ。
(街の特色というか棲み分けは重要だと思う。浅草が渋谷みたいになったら違和感でしょう?)
最も長く過ごした街
初めて来てから20年、通い始めてから15年、住み始めてから10年。
私にとって秋葉原とは、もはや地元であり、実際に一番長く過ごした場所である。
街に愛着が湧くというのは、きっとこういう気分なのだろうな、と感じている。
そんな大好きな秋葉原を卒業する時が来た。
人生を無駄に焦っている私は、結婚して家を買った。残念ながら場所は秋葉原ではない。
いまは予定していないが、将来の子育てなどを考えると微妙かもというのが正直な感想である。
→実は紆余曲折を経て秋葉原に戻ってきたわけだが、それはまた別のお話。
思い入れが深い街なので、秋葉原を去るのはかなり寂しい気持ちでいっぱいである。
いまなら桃井はるこさんと秋葉原について熱く語れるんじゃないか?と思える程度には思い出がある。
おわりに
さらば秋葉原。いい街だったよ。
ではまたいつか。
後日譚
秋葉原を去った後にどうなったのか???